恋微熱
この歪んだ恋は、微熱のよう。
1年ぶりに風邪をひいた。
明日も乗り切るかぁと眠りについた月曜日から、ちょっと変化球な展開。
朝起きるなり体が尋常じゃなく重かった火曜日。熱は下がれどたまに吐き気のした水曜日。お休みして家にいたこの二日間。
の、二日目。
風邪のおかげで、画面の向こうのあなたに逢えた、それだけのお話です。
(この文を書き出したのがV LIVE当日あたりで、ちんたら書いてたら今になっていました…。今のユンギさんのことを知らないときの自分の文です、メモの日付みたら11月4日に書き終わってました…今のユンギさんについては、もう少し、心が落ち着いたら。一旦過去の私へ飛びましょう。)
泣きは、しなかった。鼻が詰まるから。
何もしたくなかったけどひとまず熱は下がったからなにかせねばと机にスマホ持っていってバラバラとそのへんのものを広げた瞬間、ブーッブーッと2回バイブレーションが鳴った。スマホを見るとあの「いきなりLIVE配信スタート!」の文字。ニュース速報よりも焦るあれだった。
久しぶりです、と言うタイトル。
グクが来てくれたばかりだったからとにかく焦り散らかしつつVアプリの起動を待つ。
画面が明るくなったとき、そこにいたのは、ユンギさんだった。
え、死。ですよねまず。いつぶり?単独Vラ。多分D2ぶり。D2のときのV LIVEは深夜テンションでボロ泣きしてました幸せで。
ギターV LIVEで披露しますとか前なんかのインタビューで言ってたよな、え、あれれ。もしや、と淡い期待を胸にしながら。
とにかく、ユンギさんは今日も生きている。
ちょっと前まで爆イケツーブロジョングクを見ていたもんだから頭の収集がつかず終始パニック。ゆるくパーマがかかった髪の毛はThe韓国人男性で、いつもどおりのピアス、メイク、すてきなスーツ。今日もかっこいい。ユンギさんはいつ如何なるときもかっこいい。私の大好きなひとは、かっこいい。きっと世界中の人に見られているときも、メンバーだけに見られている、誰にも見られていないときでも、ユンギさんはかっこいい。このことだけは、確かだと思っていていいでしょうか。
自分がどんな状況にあろうとユンギさんが生きていてくれることが心の支えで、心の芯だ。そのことが、くっきりと浮き彫りにされた気分になって、何だか、嬉しいような。でも、どこまでも、私の人生とユンギさんの人生は関係がなく交わらないという事実まで浮き彫りにされて、悲しいような。でも、あたりまえだから。悲しくなってはならない。
和訳つきを見るぞ…!と思いながらも結局うずくまってしまう。弱い。
パジャマだって冗談ついてたんですってね、あー、なんかウッ…(?)
そんな硬そうなお洋服で寝るのですか、お化粧して、パーマをかけて、いつか無印のパジャマを着ていたあなたが、そんなお洋服寝間着にするとは思えません、いや何が言いたいかって、愛おしい。また正体のわからない気持ちが渦巻いて、バレバレの冗談が愛おしくて、胸をキリキリさせて。
ユンギさんを見ていると頭痛も腹痛も和らぐようなのに、こころは痛くて痛くて、暖かく締め付けられて、見えない痛みが、もどかしくて、苦しくて。感情に収集がつくのはきっと物凄く先のことだからとだるい頭に任せて感情を流していた。
得意げな顔であなたが出してきたものが、黒のギターだった。ユンギさんにぴったりの色。近頃写真でよくお見掛けするようになったギター。ギターは前ジンくんがしていたり、森でグクがしてたりしていたけれど、ユンギさんのギターを見かける回数が短い期間なのにずば抜けて多くて、如何に没頭しているかがわかるなあと思っていたところで、これ。パジャマですよなんてかわいい嘘をついて、何をしに来たかと思えばギター。アミに音色を届けに来てくれたユンギさんは、妖精さんでも神様でもなく、この出口のない複雑な世界を生きる、人間。私と同じように人間。それでも私はあなたが眩しすぎて、神様のように見えてしまう。
物凄い速さで時間が流れていった…。
ゆっくりな気もするし、とてつもなく速い気もする、という感覚のまま過ぎた30分間。
ぽかぽかと身体の奥の方から包み込まれている感覚になって、メソメソメソォ…ときゃー嬉しいの狭間を漂い続けていた。
ユンギさんを見ているときに悲しかったり苦しい気持ちになりすぎるのはよくない、ほんとによくない、と思っているから、感情が激しくメソォの方向へ傾かなかったときはラッキーって流していきます。だけど後々軽い気持ちのまま見すぎた…とか反省している。結果としてモヤモヤしてるからほんと難しすぎる。感情のゆく先のコントロールの方法。誰か様教えて下さいよって。答えがあるのならば。
時折体勢を変えながら、夢中でギターをかき鳴らすユンギさんを微熱の頭でぼーっと見ているだけなのに、苦しみに削られた心につめものが入ってきてもとの形に戻っていくあの感覚になって、私はこの人なしでは生きていけないのだと今日もまた感じて。
多分今まで私が聴いてきたギターの音色の中で一番愛おしい音色だった。ユンギさんの出した音は。
こっちを向かずに弾いていると思えば、時々動きを止めカメラをじーっとみてくれる。そのとき、画面越しに目があったとき、びりっとして、どきっとして、ときめくような、とてつもなく苦しいような、それでいて幸せで、痛みのような、電流のような感覚が身体を走って、やっぱりこの感覚の喜びの部分が「恋」であり、苦しみの部分が「失恋」なのだな、と。リアコって複雑だなって。感情とつき合うのは難しい。一種の歪んだ愛なのかもしれないし…。真っ直ぐに愛していたいけれど、「アイドル」に恋だの失恋だのしている時点でもう歪みまくってるんじゃ…。歪みない「好き」を向けるにはもう手遅れで。だってこんな素敵な人のこと、愛さずにはいられないし、恋に落ちても仕方ないし、失恋しても仕方ない。というのは私の中での言い訳にすぎない。
Dynamiteに、Eightに…
どんどん曲を弾いていくユンギさん。弾ける曲の数の多さに脱帽を通り越して毛が抜けた。(ウーン頭悪い比喩になった、反省)
Eightとか、自分が作った曲だからコード進行頭に入ってるのかな、すぐ覚えたりしたのかな、とか考えたり。
こういう照れくささも混ざったようなユンギさんの笑顔。くしゃっと笑うようなふにゃっと笑うような。それをリアルタイムで見れたということだけで、すべてがどうでもよくなって。明日のことも、もっともっと先のことも、昔のことも。
あなたの笑顔を見るだけでも、生きる力をもらえる人がきっとたくさんいますよユンギさん。少なくとも私がそうだ。ただ無理して笑ってるのが一番いやだ。ユンギさんの感情が向かうほうへ行ってほしいな、って。おせっかいな願い。
ユンギさんの自然体な笑顔が私にとってどれほどに嬉しいことか、ユンギさんは絶対知らない。ユンギさんは誰かを幸せにしようと笑ってるわけじゃない。自分が幸せだと思ったから、楽しいと思ったから笑う。それだからこそ、ほんっっっとうに嬉しいのです私は。
なんだか頭が働かない
都合のいい終着点
目があってクシャって笑ったから
なんだか どうでも良くなってる
クボタカイ/春に微熱
(毎度恒例歌詞引用タイム)
春に微熱じゃなくて秋に微熱だな、と思ったのが実はこの文を書こうと思ったきっかけなので、やっぱり引用したかった。こういう歌詞の恋のうたが響くリアコなお年頃です…(なにそれ)好きという気持ちにに理由をつけて言い訳しているのとか、劣等感から逃げているのとか、都合のいい終着点を勝手に作ったことに他ならないですしおすし。
何度も言うけれどユンギさんはアミを愛しているから、アミに甘い目を向けるから、私は愛されていて甘い目を向けられていることになるけれど、どれもこれも「私」のためではない。それを履き違えてはならないのです。ユンギさんは私を知らない。でもそれでいい。それが、世界の掟であるのなら、破ろうとはしない。そうはいいつつ、やはり気持ちのままに悲しんだり落ち込んだり涙を流したりしてしまう私。
恋をして、しかも賢くあることは不可能だ。
シュガなんて名前だけど塩対応、なんてよく言うけど、アミにユンギさんが向けてくれる目は砂糖なんかよりずっと甘くて、ちょっとこころが弱い私はすぐ胸焼けしてしまうほど甘くて、甘くて、甘くて、…
甘すぎてあたたかすぎて、カラメルみたいにほろ苦く感じてしまうことも、ある。
私が何もかもを間違えても、ユンギさんはそれを知らないから、いつでも笑ってくれる。だから、ユンギさんが私を知らないこともまた、救いなのですよ。
永遠に私を知らないユンギさんが、様々なifがある世界の中で最善のユンギさんならば、本当に私のことなどどうか知らないでいてください。いや安心しろ自分、ユンギさんが私を知ることはどう転がってもないから。だけどそれはそれでちょっぴり寂しいです。(結局どっち?)
ユンギさんを好きになった事は間違いでは決してないけれど、こうやって恋、して、失恋、して、ってことはいつバチがあたってもいいような、神目線から見ると、世界の片隅の身勝手な狂いなのかも知れない。世界を巻き込むまでもなく、私ひとりの中で完結させてしまいたい、恋。失恋。
ユンギさんに、このおかしい恋が届きませんように。
でも、ユンギさんに、私はあなたのおかげで救われて生きています、とはいつか伝えたい。ありがとうに好きを込めて、散ってみたい。いつか。
シーソーを口ずさむユンギさんが、あまりにも、「ずるい」。
なんにも知らないくせにどうしてそうやって私を殺すの。ずるいずるいずるいずるい。
小さな声で紡がれる歌は子守唄のようでいて、私の内部をぐっさぐっさ刺してくる。
かっこいいよほんとにかっこいい。
ちょっぴり切ないその歌を弾き語られてまったら、もう、もう……
(キャパオーバー)
少しづつユンギさんが歌いだして、最後にはもっともっと歌ってましたね…。
伝説Awakeのときと比べると、本当に上手くなっていて、高い音がちょっぴり弱々しい声に聞こえるのが、好きです。
人は好きな人の声を聴いていると眠くなるらしいけど、それは本当だと思う。素敵な声にドキドキするのもあるけど、それよりもとっても安心する。今日も生きていて喋ってくれることに安心する。
ラップに、歌に、ピアノに、ギターに、絵に…。様々な表現を司っているよう。
そうやってなんでも出来てしまうのずるい。ずるいよ。だけど、才能で溢れてるだけじゃなくて、それ以上の努力で溢れてるってことを、知っている。知らないけれど、知っている。
手を見せて、って言ったらぱかんって見せてくれるユンギさん…。
爪はどうですか、痛くしてないですか。
最近のセルカで見たユンギさんの爪が綺麗だったとき、ほんとうに嬉しかった。
身体的なが痛みが前より少し減った証拠なのかも、と思うと、よかった、よかった、って。
MV撮影いかがでしたか、とか、思って。
ユンギさんが公開してくれるものをしっかり受け止め、変に奥を想像せずに、発された言葉を信じる、ということを自分の中に掲げているのに、ああかなこうかな、と未だにしてしまう。けれど、ユンギさんが見せてくれるものはとっても多くて、見るせられてないものまで、今までのことをヒントにして考えてしまうし、それがあってるように思えてしまう。ちょっとだけ、ごめんなさい。
いつかこうなってそうだよね(冗談)(源さん推してますのではい)
でもここまでギターに熱中してるユンギさんなら、ありえそうで、いつか冗談じゃなくなりそうで、なんだか、楽しみ。早く歓声に包まれるユンギさんがみたいなぁと、今日も変わらぬ世界を生きる。
そろそろ文を書く手が疲れたから、(とかいいつつ一日数行しかかいてないのだけれど)終盤に入りましょうかね。
こういう、このまま永遠にこっちを向かなさそうな、だけどふとした瞬間に目があってしまいそうな、一秒先の動きすら予想できない写真がむずむずして、好き。
明日も続く失恋。恋。
もう下がった微熱。
少し咳が残った風邪。
リアコとかいう正体不明の痛みが、本物の微熱となって体に現れた、そんなような風邪だった。この歪んだ恋は微熱のようなものだ、と私自身も感知できない本能みたいなものが示してくれたようだった。
微熱のように、下がるか下がらないかの狭間で、じりじりと苦しめられる。だけどその中には非日常感と特別感があり、苦しいのに、熱が下がったあとの世界へ行きたくないという矛盾を起こす。そんな恋だ、わたしは。
そんな愛だ、わたしは。
この歪んだ恋は微熱のように、私を蝕む。
だいすきなひとは、カラメルのように甘く苦く熱く私を溶かしていく。
でも跡形もなく無くなることはないのでしょう。きっとあなたがいる限り、想いは微熱よりも、カラメルよりも、熱く燃え上がるのでしょう。
また劣等感に負けないように、かっこ悪い私のままでもせめて踏ん張ってみせますから。
足りないものを、あなたで補う日々を、微熱のような日々を、もう少し抜け出せないままでいさせてください。
淡い微熱のなかにて、宛先には大好きな人の名前を書いて、やっぱり消して。秋をもう終わらせようとしている、白い息を吐き。
決して私を知らないあなたのいる、夢の外から。
2020-11-04 塩未
(Up:2020-11-07)
P.S.あなたの痛みが減ることだけを、あなたが自分を攻めないことを、願って。きっとまた笑ってくれるはずだから、あなたがもっと辛くならないよう、心配は、しないですから。祈ること、願うことだけ、するようにしますから。